今年もINDY 40 ENDUROカートレースに日本から6チーム24名の選手と家族や関係者で40名以上の人達が参加し大いにランカウイを楽しみました。レースは、今年からCIK公認の国際レースとなり去年に比べ規則等が大きく変更になりました。また決勝スタート前に、マハティール首相から選手1人々が激励を受け感激のスタートセレモニーでした。優勝表彰式のプレゼンターにもワールドチャンピオン”ロッシ”が招待されており、ウェルカムパーティーやパドックで選手達も一緒に大いに盛り上がっていました。

 2000年INDY40 ENDUROレースはマレーシア独立40周年である1997年に初めて開催されました。このイベントに勝利するためにドライバーに要求されたクオリティーである強い精神・決断力・忍耐・チームワークは、その当時のマレーシアに成功をもたらすためのクオリティーと同じである。また、1997年にイタリアのCRGグループが独立40周年を記念してマレーシア国民にチャレンジトロフィーを贈呈したことがマレーシアに独特な成功をもたらしました。
 それゆえに今年、また再びこのイベントを見ることができ嬉しく思います。
 このINDY40 ENDUROシリーズが私達国家が持つべき重要なクオリティーを思い出させるものとして、将来も続いて行くことが私の願いです。このイベントが行われるランカウイは旅行者のための地域として政府に承認されています。私達は、レーのに参加者及び関係者の人達に時間をさいて、この島のもてなしと美しさを堪能して頂きたいと願っています。
 私達は、また来年のWorld Finans of the Rotax MAX Challenge 2001にも招待したいと望んでいます。この世界クラスのカートカーニバルを主催するという名誉を与えられたので、私達は2001年の12月に再び戻ってきてくれることを望んでいます。
最後に、Mofaz Mortersports とLangkawi Development AuthorityとLangkawi Mortersports Clubによって、この精神が生き続けられていることに感謝しております。

Dr. Mahathir Bin Mohamad Aug.3,2000


 INDY40 ENDUROレースは金曜日の夕方から車両抽選会と、今年から重量規制がきびしくなり140kgクリアーに参加の選手、メカニックともども、忙しい夕暮れとなりました。去年はカートコースのパドックでの作業でしたが今年から飛行場の格納庫を抽選会場に当てホテルと近いこともあり各チーム納得するまでセットアップを施していました。
 日本からは、昨年参加し優勝のFCS、2位のKIKI、トレンタクワトロ、ラマーレに、今年はスピリットとカーチスの2チームが増え6チームの参加となりました。
 土曜日の午前中の練習で快調にカートのセットしていたカーチスチームがメディカルチェックで掛かり、敢えなく参加ができなくなる事態が発生しました。午後からの公式練習及び、予選でも日本チームはタイムが上がらず、決勝スタートのポジション最上位はKIKIの4位という結果となりました。
 決勝日の午前中に行われる公式練習では、昨日とうって代わり、日本チームのFCS、KIKI、TRENTA QUATROなど各チームとも好タイムをマークしパドックで大いに盛り上がっていました。
 決勝のポールポジションは今年の優勝候補である、MORAC UKが獲得。セカンドは昨年3位でジュニアで構成したSAJIBUMI YOUNG GUNSが獲得。
 決勝スタートでKIKIチームがエンジンをかぶらせ出遅れてしまう他は、綺麗なスタートで4時間の耐久レースの
始まりとなった。MORAC UKは好調にトップを維持し周回をこなして行く。それに続くのが、日本のFCSで決勝に照準を合わせ素晴らしい追い上げをみせる。またGP3チームは予選でエンジン調整に苦労していたが、ロッシ選手からアドバイスを受けたかいがあったのか決勝レースでは好調に上位に進出してきた。日本のKIKIもスタートの遅れを取り戻し実力どおり後半はラップチャートの上位に顔を覗かせるようになる。
 後半になると各チームにトラブルが発生し始め、その中でトップを快走していたMORAC UKのチェーンがはずれ2周のラップを他車に許すことになった。スピリットも4番手に着けていた後半チェーントラブルで後退することになる。
 最後のルーチンピットストップが終了した後の順位は、トップが
GP3、2番手にFCS、3番手4番手にKIKI、HONG KONG1とつづく。終盤10分を切った頃からFCSの小早川選手が猛烈にトップにアタックを開始し、遂に大逆転でトップをゲットし栄光の2年連続優勝のチェッカーフラッグを受けることになる。しかし、レース終了後の重量計測で4名中1名が失格となりFCSにとって幻のチェッカーとなってしまった。


 私達の後援者であるマレーシア首相のこのイベントに対する絶えまない援助に心から感謝を称します。
 総ての参加・スポンサーの方々・政府機関・LANGKAWI MOTOR SPORT CLUB、その他この第3回INDY40 ENDUROに関わった方々に彼等の参加と援助に感謝したいです。
 マレーシアでは唯一の耐久イベントで、この地域では最初であるこの年中行事は今日のようになるまでに発展しました。このイベントは日本、ヨーロッパからのカーター達によく認めれれていて今年はCIAカレンダーに載
りました。INDY40 ENDUROは19997年に始まり、その目的は地方のゴーカート活動を広げるためであり、またマレーシアの独立40周年を祝すための行事として生まれました。それ以来ASEAN KART PRIXと共にゴーカートとその他モータースポーツへの地元の人たちの興味に火をつけることとなりました。
 マレーシアのモータースポーツ産業は他の国にモデルとなるレベルに成長しています。ゴーカートに関しては、多くの世界中のイベントに勝つケースもあるほど多くの能力を生み出してきました。マレーシア人の業績はこれからも賞賛されると信じております。
 今年の
INDY40 ENDUROが成功しモータースポーツ団体から絶えまない援助を受け、いつかはゴーカートの歴史においてサクセスストーリーとなる事を願っています。
最後に総ての参加者が力を発揮し、次のイベントでもまた、会えることを願っています。

Mohamed Fauzy Abdul Hamid

 その結果優勝はGP3、2位にKIKI、3位にHONG KONG1、4位にSAJIBUMI YOUNG GUNSが入り、ワールドチャンピオンのロッシ選手より各選手、それぞれ祝福を受けて大満足の表彰式だった。